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広瀬通月報

 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 「父が不動産を持っているのですが、認知症のため自分で管理することができません。どうしたらいいでしょう?」というような質問が、「父」のところが「母」だったり「叔父」だったり「叔母」だったり、「不動産」のところが「預金」だったり「会社(株式)」だったり、「認知症」がその他の病気だったり、バリエーションはありますが多く寄せられます。このとき、信託契約であったり、任意後見契約であったり、法定後見制度を提案するのですが、特に「後見」についてよく理解されていないようなので、今回は、「後見」についてお話します。

 民法では、「私権の享有は、出生に始まる」とされ、赤ちゃんでもおばあさんでも、すべての人が平等に権利の主体になるとされています。ただ、民法は、法律行為を行うには意思能力がなければならないともしています。そのため、赤ちゃんとか判断能力が十分にない人は、権利の主体ですが、自分で法律行為はできません。赤ちゃんや子どもなら、大体その親が、その子のため、法律行為をします。では、大人だけど意思能力がないときは、どうでしょう。後見、保佐、補助といった制度は、このような、高齢者など、判断能力が十分にない大人を支援するための制度です。

 ここで重要なのは、第一に、親がその子のため代わって法律行為をするように、判断能力が十分にない人のための制度だということです。第二に、親はずっとその子の親であるように、後見人、保佐人、補助人も、裁判所で一度選ばれたら「〇〇をしたら終わり」というものではなく、基本的にはずっとその判断能力が十分にない人の後見人、保佐人、補助人です。第三に、親は子に代わって法律行為をするだけでなく、子に教育をしたり、ご飯を用意したり等々、様々な世話をしますが、後見、保佐、補助の制度は、意思能力が十分にないことに対する制度であって、教育をしたり、ご飯を用意したりといった世話はしないということです。

 ただ、以上の説明は、日本の後見、保佐、補助の制度の説明であって、諸外国では意思能力とは関係なく、大人だけどひとりで生きていくことが難しい人に対する保護の制度として、お世話する人を選任する制度が設けられていたりします。

私は、法律家なので、法律行為だけを代わって助けるという方が性にあっていますが、日本の制度も、生きるためにお世話が必要な人が増えてくれば、他の国のような制度に変わっていくかも知れません。


岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。

月報のはずが、6月は失念しておりました。失礼いたしました。


“養育費”はとても大事なものです。

ただ、このところ、この“養育費”が、おかしな理由で、きちんと支払われていない事件に会うことが何度かあったため、注意喚起のため、養育費についてお伝えします。

まず、“養育費”とは何でしょう?夫婦が離婚するときに、離婚の原因を作った側が、慰謝料として、子どもを育てる側に毎月支払うお金でしょうか?

そうではありません。離婚の原因を作った側が支払うとは限りません。慰謝料や迷惑料として支払うわけではありません。離婚のために支払うものでもありません。子どもの健全な成長のため、子どもの親として支払うお金です。離婚したからといって、子どもがあなたの子どもであることに変わりありません。子どもにとって「お父さん」、「お母さん」は変わりません。

夫婦は婚姻中、相互に生活保持義務を負っています。旦那さんと奥さんは、それぞれ、その資産・収入・社会的地位などに応じて共同生活を営む上で必要な費用について、互いに分担することが求められます。夫婦間の分担、生活保持義務は、離婚することでなくなります。ただ、お父さんとお母さんが分かれても、子どもには関係ありません。子どもにとって「お父さんはお父さん」「お母さんはお母さん」です。お父さんと子ども、お母さんと子どもの家族関係はなくなりません。互いの費用分担義務、生活保持義務は残ります。それが、「養育費」です。

ただ、離婚すると、一般にお父さんとお母さんは別々に暮らすことになります。そして、法律上もお父さんかお母さんか一方を子どもの親権者と定めることとされています。

親権者とならなかった親も子どもと家族であることに変わりはないのですが、共同生活の実態が、面会交流のときだけになってしまうなど、薄れてしまうからか、親権者とならなかった親は、親権者とならなかったということで子どもの健全な成長に関与することに関心を示さなくなることがあります。

この問題に対して、法務省では、離婚後も父母双方を親権者とできるようにすることが検討されているようです。「親権を持たない親の親としての責任感が薄くなってしまうから・・・」という問題意識があるようですが、これまで記載したように親権がなくても、「子どもの親」「子どもと家族」であることに変わりありません。“共同親権”が認められる社会になったとしても、共同親権とならなかった親が「うちは共同親権じゃないから、自分は親として子どもとかかわらなくていいんだ!」みたいなおかしな誤解が生じないといいなと思います。


 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 会社と雇用契約を締結したけれど、「契約書がない!」という相談を受けました。岩内に来てから、雇用契約とか家の売買契約とか、大きな契約なのに契約書を作ってないという場面にあうことが何回かありました。ただ、誤解してほしくないのは、大きな契約のときは契約書を作ることが通常ですが、契約の成立のために契約書が必要なわけではないことです。

契約書についての相談の多くは、「契約書がないんだから契約は成立していないんじゃない?」というものでした。答えは簡単で、契約するのに契約書は必要ありません。契約書がなくても契約は成立します。

 生きていると、お役所とか「色々書類を出さないと認めてくれない!」ということが多くあります。ただ、人と契約をすることは、法律上、そんな特別なことではありません。「ください!」「いいよ!」と約束するだけで契約は成立します。コンビニでジュースを買うことをイメージしてください。「これ、ください!」「いいよ!」だけで売買契約は成立します(正確には、商品を手に取って、レジで「これ、ください!」の時点で成立します。)。法律上、ジュースだろうが家だろうが売買契約の成立に必要なことは変わらないので、家を買うのであっても「これ、ください!」「いいよ!」だけで成立することに変わりはありません。

 では、どうして人は、契約書を作るのでしょう?これは、契約の内容を証拠として残しておくためです。ジュースを買うだけなら「これ、ください!」「いいよ!」だけで、いつ買ったのか、いくらだったか忘れてしまってもあまり問題になりません。ただ、家を買うときは、いつ買ったのか、いくらだったか、家に壊れているところがあったらどちらが直すのかなどなど、後で確認しなければならないことがたくさんあります。以上のような理由から、ジュースを買うときに契約書はあまり作成されませんが、家を買うときには契約書を作成することが通常です。

 つまり、契約書は、裁判など争いになる可能性に備えて作成するのです。家族の中だったら、コンビニでジュースを買うような小さな契約でなくても、家を買うような大きな契約でも契約書は必要ないかも知れません。みんなと契約書なしで家を買ったり売ったりできるようなフレンドリーな社会になっていくといいですね。むしろ、家族の間でも契約書がないと心配になってしまうような社会になってきているような気もしますが・・・。

 これからは、是非、契約をするとき、どうして契約書を作成するのか、又、どうして作成しないのか意識するようにしてください。又、その契約の内容は、ちゃんと自分に有利な内容になっているか、納得できる内容なのかも意識するようにしてください。自分で判断できないときには、ご相談ください。

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